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戦中派不戦日記

おはようございます。昨日はお休みを頂きまして、拙ブログの更新が出来ず、大変失礼致しましたm(__)m。それにしても大分は大変な雨でして、落書の 顔の大きく 梅雨の塀、将に夕立でありました。さて、昨日は親戚と語らう機会があり、来し方行く末は勿論の事、もう亡くなった人の思い出話に花が咲きました。やはりというか案の定、こういう時はうちの亡父の出番でありまして、何せ話題が豊富なご仁ですからね、彼もあの世で喜んでいるでしょう。医師だった父が、年の離れた可愛らしい看護師さんと、当直をしていた時の事です。木枯や 馬の大きな 目に涙、それは晩秋の夜だったそうですが、その看護師さんに、「スイカを買って来てくれ」と頼んだんですね。もう秋も半ばを過ぎて冬に近かったそうで、深夜営業のスーパーを廻り、漸くスイカを見つけ、父に、「先生、何で今の時期に無理な事言うんですか?」となじったんですって。そうしましたら、「お前の買って来てくれたスイカを一緒に食べたかったんだよ…」ですって…。確かその頃の父は疾うに70を過ぎていた筈ですが、20代の看護師さんに向かってその台詞、何を考えてんだ、この助平爺!下心丸出しじゃないですか!?

僕、そういう好色な処は余り似ていない気がしますけれど、両親揃って絵画が好きでしたから、其処は確実に受け継いでいると思います。先の親戚との話の最中、生家にあった絵を、先様に預けていた事を思い出しまして、「たかしちゃん、呑気過ぎるわよ!」と呆れられました。両親はかなり集めていたのですけれど、共に亡くなって長いですから、そのコレクションも何時の間にやら散逸してしまい、中には悪い奴らが勝手に持って行ってしまった気配もあります。罪を憎んで人を憎まず、そういう輩にはきっと天罰が下りますし、その紛失した幾つかの絵はもう仕方の無い事ですけれど、僕が親戚の家に預けていたのが、昨日確認したのですけれど、小磯良平の裸婦に、平山郁夫の法隆寺が先ずありました。そして、ピカソの晩年、ポップ・アート風のカラフルなアレンジをしていた頃の物がありまして、他にも未だ何点かあったのかな、亡くなった両親からのサプライズ・プレゼントという感があり、何だかハッピーな気持ちになりました。好む色や画家には差異はありますけれど、僕、難解な抽象画や現代美術はどうも苦手、裸婦も風景画もポップ・アートも大変好みますから、やはり親子なんですかねえ。

さて、パーソナルな思い出話が続いて恐縮なんですが、その父は昭和8年生まれでして、好きな食べ物と言えば、これは奇癖に近いんですが、1年365日、大根の千六本の味噌汁ばかりを飲んでいました。面倒ですが母と僕は別の物、豆腐とわかめとか、青菜とかなめこ、油揚げや長葱、偶に蜆や浅蜊と様々でしたが、父は頑固に大根のみ、ありゃ何だったんでしょうか。それはさておき、その他の好物と言えば、牛肉と鶏卵と餅が三種の神器でありまして、それさえあれば満足の体でした。特に餅は、鍋料理の際には、兎に角最後の〆に入れなければ気が済まない様でして、煮え過ぎてしまい溶けちゃって、しょげ返っていましたっけ。どうもこの、戦中派の方々って、父同様、この3つが大好きな様ではあります。この前、書庫を整理していた折に気付いたのですけれど、僕、父へのノスタルジアなのか、その戦中を過ごした方々の日記を良く読んでいた事に気付きました。父は東京の両国中学・高校に通っていましたから、昭和20年に経験した、アメリカによる東京大空襲については、耳に蛸が出来る程聞かされたんですね。「隅田川には死体が沢山浮いていた」「髪の毛が焼ける程熱かったし、空は真っ赤だった」「金庫に札束があったが、その形のまま灰になっていた」「戦争ってなあ、嫌なもんだよ。そりゃお前、女と遊んでた方が楽しいぞ!」、等々、幾度と無く聞きました。

僕、その所為もあってか、戦争を経験された方々の日記を読み耽った時期がありました。日本人必読の名著、永井荷風の「断腸亭日乗」。「山本周五郎戦中日記」。実際に戦争を指揮していた、宇垣纏海軍中将の「戦藻録」。伝奇作家山田風太郎の「戦中派不戦日記」。内田百閒の「東京焼尽」。ロング・セラー「死の棘」で知られる島尾敏雄の、「加計呂麻島敗戦日記」。「高見順敗戦日記」。評論家の伊藤整の「太平洋戦争日記」。戦前のお笑いの大スター、古川ロッパの「昭和日記」。仏文学者渡辺一夫の「敗戦日記」。総理を務めた「芦田均日記」。

どの日記を読んでも、連日の様に空襲がありますから、生死の境を彷徨う毎日な訳です。敗戦濃厚な噂が何処からともなく流れ、流言飛語が飛び交い、生活の上でも配給制度となり食事も満足に摂れず衣服も無く、謂わば一種の極限状況が続くんですね。そうなりますと、非常に興味深いんですが、その人が執着する物が、赤裸々に如実に日記に書かれているんですね。永井荷風ならば、多くの女性達との付き合いであり、空襲に晒されながらの社会批判が連日の様に綴られます。内田百閒は酒、当時医学生だった山田風太郎は、己の精神と真摯に向き合い、その在り様を執拗に書き連ねます。小説をひたすら書き続けた山本周五郎。渡辺一夫は文学のみを見つめ、伊藤整は日本の勝利だけを信じます。高見順は純粋な怒りであり、軍人だった宇垣には自己弁護の匂いがし、圧巻なのは喜劇役者の古川ロッパです。兎に角、食べる事に執心なんですね。当時は配給制で外食食堂なる物があり、決められた定食を1人前しか食べられないんです。飢えに飢えたロッパは、付き人と共に行き、その彼の分の定食まで食べてしまうんですね。付き人もお腹を空かせているのに、見ているだけでありまして、ロッパ本人も、「餓鬼の振る舞いである。許せ。」と書いていました。

自己を韜晦したり自嘲したり、或いは憤怒であり皮肉であり、性や生や食に徹する者あり、思想に殉ずる人も居て、皆さん、様々な反応ではあります。ただ、1つだけ共通項がありまして、皆揃って、戦を心底憎み、忌み嫌い、呪詛した事は間違いありません。

僕、つくづく思うんです。今の総理は、集団的自衛権を行使し、地球上の何処までも自衛隊を派遣し、アメリカと共に戦おうとしています。でもね~、イランにせよイラクにせよ、古くはベトナムにせよ、もっと昔はインディアンにせよ、アメリカのやる事は己の正義を振りかざし何時でも頓珍漢、殺さなくても良い人を無闇矢鱈に殺めるだけじゃありませんか。安部クン、先に挙げた戦争を経験した諸先輩方の日記を、一冊でも読んだ事がありますか!?不肖のウチの親父を含めた、先人達の貴重な体験を、真摯に受け止め、しっかり考えましょうよ。僕、何も、特定のイデオロギーに囚われた、反戦主義者じゃありません。日本の独立が脅かされたり、万が一攻め込まれたりした際は、断固として立つべきです。僕だって、この愛する美しい郷土を守る為、一兵卒として喜んで戦いますよ。でもね、アメリカの都合で、何だかよく分からない理由で、日本人と関係無い人々を殺すのには、絶対に反対します。

今日は堅い内容になってしまって恐縮ですけれど、亡父の事を思い出していたら、こんなお話になりました。では皆さん、明日又お会いしましょう!
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