☾☆ 闇夜の国から2人で船を出すんだ ☆☽

読者の皆様、おはようございます!今日は先ずはお礼から。今朝の時点で、拙ブログの総拍手数が、38万を超えておりました。時の権力者に噛み付いたり罵倒したり、時には感情的になったり、己の趣味の話に終始したり、我儘に書き散らす、若輩者であり田夫野人のこの駄文に、過分なご厚意を頂き、感謝しかありません。しかも、現在はこの拙ブログ、携帯からは拍手出来ない様になりましたのにも関わらず、何時もお付き合い頂きまして、心より感激しておりますし、本当にありがとうございますm(__)m。

いや~、毎日書いている様に思いますが、それにしても暑いですよね。今日は大分の日田では37℃まで上がる由、どうか皆様方も熱中症にはお気を付け下さいね。夏痩せの 此の頃蚊にも せせられず、僕、かっては暑い季節には強い積もりだったのですが、もうすぐ50に近い所為か、体力の衰えを頓に感じます。いやいや、そんな弱音を吐いてはいけませんね。48歳と言えば、プーチンが大統領になった年であり、松本清張先生が大ヒット作品を連発していたのが48歳、クリント・イーストウッドが「ダーティ・ハリー4」を企画した年であり、手塚治虫先生が「ブラックジャック」「MW」「三つ目がとおる」「ブッダ」「火の鳥」を同時連載していた年齢ですもん。それを思うと僕なぞまだまだひよっ子、グリーン・ボーイでありまして、モリモリ食べて、仕事をガンガンやらなきゃ嘘ですよね。とりあえず、今日は病院スタッフとの会食もありますから、鰻に大蒜、韮にステーキ、岩牡蠣にキムチ、フローズンの生ビールとモヒートぐらい、食べて呑んでやろうかしらん。

もう会えぬ 人ばかり増え 盆の月、今年もそろそろお墓詣りの時期が来ますけれど、僕達は皆、歴史の中に生き、生かされている訳です。「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても生まれては来ないのだ。しかも尚、その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」これ、文豪志賀直哉先生の晩年のエッセイの一節であります。おっしゃる通り、その通りでありまして、膝を打ちますよね。お盆の季節に合わせた訳でもないんでしょうが、ここ数日、古の遺跡が沢山発掘されています。

先ずは、奈良県のキトラ古墳、これ、8世紀に造られたもので、天武天皇の御代であります。里中満智子先生の畢生の大作漫画、とうとう完結しました、「天上の虹」の時代の古墳ですね。さて、このキトラ古墳、誰が埋葬されているのか皆目分かりませんけれど、天井には見事な天文図が描かれているんです。星座の位置から年代を推測した結果、紀元前1世紀の星空を描いた壁画だったそうで、古代中国の洛陽や長安の都で観測したものだった様です。それから数百年の時を経て、古代中国の天体図が、何故奈良の古墳に描かれたのか、古代のミステリーですよね。同じく奈良県の遺跡で、韓国からの渡来人の大型の建物が発掘されました。これ、5世紀のものだそうで、既にオンドルが造られていた由、この遺跡の近隣の集落は皆、渡来人のコミュニティがあったそうで、恐らく技術者集団の集まりだったのでしょう。

そして、僕が最も驚きましたのは、鹿児島から南に400㌔ある喜界島の遺跡です。この遺跡は12世紀のものでありまして、時はあたかも世界的な戦乱の世でした。欧州やイスラム圏では十字軍の遠征が幾度と無く行われ、ユーラシア大陸ではモンゴル・金・宋の国々が覇権争いの真っただ中、本邦では源平の戦乱であります。さて、奄美群島に位置する小さな喜界島、此処から、砂鉄から鉄を造る、大製鉄炉跡が発見されたんですね。鹿児島空港から飛行機で1時間半かかる喜界島、その孤島に、12世紀の遥か昔に、製鉄所があったとは。不思議なのは、原料の砂鉄です。喜界島は珊瑚礁の島の由、此処では砂鉄は決して採取出来ないんですって。又、製鉄炉も、かなり特殊な形らしく、熊本でしかやらないフォルムだとか。この喜界島の鉄を確保した勢力が、琉球王国を造り上げた事は間違い無いでしょう。そして、南西諸島や台湾、韓半島や中国とも交易があったんじゃないかなあ。となりますと、僕達が思っているよりも、大規模な形の海路があった、そう考えて不思議はありませんよね。

その喜界島の製鉄所の時代より少し遡り、10世紀頃の話になるんですが、現在の極東ロシアから満州にかけて、渤海、という国がありました。約300年間、勢力を維持していたんですが、どういう民族だったのかは、文字を残していないので、良く分かりません。けれど、日本海を行き来し、渤海と日本の間で、両国間で50回に渡り外交のやり取りをした、という記録が残っているんですね。古代の日本の海、それは思っている以上に、国際色豊かなものだったと言えそうです。

僕ね、最近の右傾化と言いますか、「日本は優れた国だ。中国や韓国は出て行け!」といった風潮を大変危惧する者です。そりゃね、中国も韓国も兎に角しつこいですし、無茶苦茶言ってるなあ、と思う事も多々ありますよ。でもね、嫌な野郎でもお隣さんな訳で、共に決して引っ越せないんですから、だったらお互い大人になって、短所に目をつぶり長所を見て、お付き合いするしか無いじゃありませんか。嫌だ嫌だと繰り返しても、それで何か解決する筈も無く、子供じゃないんですから。先に縷々述べました様に、かって僕達には、卑弥呼の時代に始まって、新羅任那、多くの渡来人、遣隋使遣唐使、渤海、そして戦国期のポルトガルやスペイン人達、江戸期のオランダ人、明治期に多くの国から来たお雇い外国人と、数限りない異邦人達と、上手くやって来た歴史があるじゃありませんか。何故今、それを軽視し、隣国と喧嘩しようとするのか、僕、勿体無いし馬鹿らしいと思うなあ。そしてね、もっと大きな視野で考えれば、僕達人間なんて、アフリカで皆仲良く暮らしていた一族でしょ。一説に依れば、30代ぐらい遡れば、1億人以上の血縁関係が出来るそうです。僕だって、似ても似つきませんが、ブラッド・ピットやトム・クルーズにジョニー・デップといった天下の二枚目と、随分遠いにしても、DNAレベルでは親族かもしれません。そう考えれば、隣国なぞもっと縁が深いんですから、そこで揉めたって仕方無いですよ~。人類皆兄弟、これを言った笹川先生は右翼の犯罪者ですが、その言は仰る通りと思います。

さて、今日の拙ブログは、遺跡から始まって人類皆兄弟と、いつもとは違い、博愛の精神で綴ってみましたが、如何でしたか?週末は熱波であり、酷暑が続く様ですが、皆様、水分補給を忘れずに、素敵なウィーク・エンドをお過ごし下さい!それではまた来週、お会いしましょう!
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