the daughter of time

いやあ、今朝は参りました…。恒例の早朝の犬の散歩に出掛けたのですけれど、彼女も今年で13歳、人様ならば70近い老婆なんですが、余程体調が良かったのか、妙に元気が良いんですよ。ボクシングで謂う処のサイド・ステップにバック・ステップ、フェイントをかけて急に方向転換したりと自由自在、まるで全盛期のヘクター・マッチョ・カマチョというプエルトリコの天才ボクサーを思わせる、大変切れのある動きでして、僕は振り回されるばかりでありました。これ、ボクシングならば打たれまくってるなあ、と下らない事を考えていましたら、緩い傾斜がある処で、いきなりの猛ダッシュを始めまして、其処は雑草が生い茂っていたのですが、朝露に濡れておりまして、おまけに僕の靴はラバー・ソウル、全く踏ん張りが利かず、物の見事にずでんどうと仰向けに転んでしまいました。不幸中の幸い、怪我は無かったんですが、その拍子にリードを放してしまい、彼女は朝まだきの住宅街に向けて颯爽と逃走、僕、身体に付いた草を払って、必死に追い掛けましたよ…。逃げる犬、追う人間、でもね、脚力ではとても勝負になりません。僕が100㍍近くまで接近すると彼女は全力疾走で逃げ、常に一定の距離を保ち、じっとこちらの様子を伺っておりまして、何て嫌な奴なんだ、と思いましたねえ。30分ぐらい追いかけっこをしていたのかな、鬼ごっこにも飽きたのでしょう、漸く捕まえる事が出来まして、一安心でした。その後は、執拗に全身を僕の脚に擦り付け顔を舐め、甘噛みをし腹を見せ、コケットリーな魅力を振りまいて甘える始末、「さっきはご免なさいね~♡♡魔が差して、ついアナタから逃げちゃったの、許されて~♡」といった塩梅、しかしこの犬、一体全体、どういう性格してるんですかね、ホント、悪い女ですね…。

閑話休題、いよいよ今日で年度末、弥生も終わり卯月に入り、新年度ですか。でもね、この4月から新たな年度の始まり、というのは明治期からでありまして、それまでは暦通り、1月に始まり12月に〆、という形だったんですね。何故そうなったのか、諸説入り乱れている様ですが、どうやら、税金を徴集するのに最も都合が良かったから、という事らしいんですね。実際、明治の御代では、会計年度の始まりは変更に変更を重ねており、試行錯誤の末、4月開始に収まった様です。

historical if 、ヒストリカル・イフ、という言葉があります。これ、もし歴史がこう動いていたら…、という意味なんですね。先に挙げた、明治の会計年度の再三の変更ではありませんが、僕、前々から思っていた、歴史上の嘘を、今日は暴いてみたいと思います。先ず、教科書を紐解きましょうか。「明治の初め、大久保利通・木戸孝允・岩倉具視らは、西洋の仕組みや文物を学ぶべく、岩倉使節団を結成、長期の外遊に出掛けた。留守中に政権を預かったのは西郷隆盛である。西洋で学んだ大久保らは、新しい日本を造るべく、革新的であったが、日本しか知らない西郷らは保守的であった。結果として、西郷と大久保は、外交路線の食い違いから、激しく対立し、日本最大の内戦であった西南戦争が起こる。西郷はその戦に敗れ、鹿児島の城山で没した。」、とまあ、これが教科書の解釈ですし、日本人の共通理解と思います。

でもねでもね、これ、少しでも明治の歴史を学んでみますと、真っ赤な嘘、という事が分かります。あ、いや、正確には、先の話は、半分本当で半分嘘ですね。本当の事に少しだけ嘘を混ぜると、如何にも真実らしく聞こえるそうですけれど、勝者が歴史を巧妙に書き換えた訳です。

さて、先の文章の最大の嘘とは、「大久保らは革新的だったが、西郷らは保守的であった。」の部分なんですね。江戸時代の封建主義から、明治期のより開明的な中央集権システムになったのは、実は、西郷さん達が政権を担っていた、僅か2年足らずの短い期間に行われた大改革に依るものなんですね。廃藩置県の推進と実行、これは全国に居る300人の殿様の職を奪い、県を置くという、明治期最大の改革であり、荒療治でした。そして、司法制度を確立し、戸籍制度を始め、土地の所有権と売買を認め、学校制度を造り、日本銀行を創設し、鉄道を敷き新たな暦を採用、徴兵制の導入にキリスト教を認可、これを2年でやり遂げちゃうんですから、この大改革を推進した首相でありました、西郷さんの何処が保守的なんでしょうか!?そうそう、忘れていました、去年でしたか、世界遺産に認められた、日本初の近代工場である、群馬県の富岡製糸場ですか、これも明治5年に出来たものですから、西郷政権時代の時の出来事です。

実は、大久保を中心とする、岩倉使節団は、西洋の文物を学ぶ事は勿論でしたが、最大の目的は、それでは無かったんですね。江戸期に結ばれた、欧米との不平等条約の改正、それが主目的でした。ところが、まだまだ国力の未熟だった日本を相手にする先進国なぞ皆無でありまして、大久保らの交渉は大失敗に終わりました。100人を超す使節団として外遊しておきながら、これでは流石にマズイ、という事で、途中からは「西洋視察が主目的である」という風に、問題をすり替えちゃうんですね~。これ、自らの失政を誤魔化す為に、巧みに論点をずらす、東電や官僚の得意技であり、今も尚、政府がやりそうな手口ですよね!?さて、当時の狂歌が残っておりまして、条約は 結び損ない 金は捨て 世間に大使 何と岩倉、最後の部分は「世間に対し 何と言い訳」と掛けたのでしょう。

西郷さんは、己の立案した外交政策に固執し、自ら下野する形となるのですが、ここからは大久保が実権を握り、極めて独裁的な政治手法を取り、日本初の秘密警察まで使うんですね。幼少期からの大親友であり、実家はすぐお隣であり、貧しかった大久保は西郷さんの家で幾度と無くご飯を食べさせて貰った由、その大恩人を死に追いやるんですから、僕、大久保とは、決して一緒に過ごしたくありませんね~。結局、西郷さんを倒した大久保は、日本中の侍たちの怒りを買う形となり、全身に傷を負い、惨殺されてしまうのでした。西郷さんと大久保を較べれば、平成の今も、どちらに人気があるかは一目瞭然です。僕、以前鹿児島で清遊した折、西郷さんと大久保の銅像を見ましたけれど、彼我の余りの大きさの差には笑ってしまいましたもん。そりゃあ西郷さんの銅像は巨大でしたし、お墓にも参りましたが、常にお花やお線香が絶えないとか。また、大久保は、地元鹿児島での納骨を断られ、仕方なく墓所は都内の青山霊園になったそうであります。僕ね、教科書に載る大人物になって、日本史に名が残ったとしても、生まれ故郷から、「納骨はちょっと…」と断られる生き方は、とても出来ません。

ところが、政権を担い続けたのは、大久保一派でしたから、自らに都合の悪い部分は、少しづつ少しづつ、歴史や事実に巧妙に手を加え、改悪し、隠蔽して来た気がしてなりません。でもね、これって、今の時代も何も変わらないんですよ。と申しますのも、原発問題へのいい加減な対応も然りですが、大久保の血脈は自民党に脈々と受け継がれていまして、彼の直系の子孫が、元総理の麻生太郎その人であります。そう言えば、大山鳴動して鼠一匹、結局は完全無罪で終わった小沢さんのスキャンダルも、当時の総理は麻生太郎センセイでしたからねえ、ひょっとしてご先祖様から、政敵を蹴落とすノウハウを学んだのかしら!?
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