¦│ 立ち切れ線香 │¦

ええ~、目には青葉 山ほととぎす 初かつを、いやあ、今日の大分は薄曇りですけれど、今が1年で最も過ごし易い季節じゃないかしら。これ、江戸期の俳人、山口素堂の句なんですがね、俳句の文化が世界中で親しまれて久しいですけれど、この良さは異人さんにはちょいと分からねえ、あたくしはそう思いますねえ…。色合いが鮮やかですし、vividってんですか、視覚聴覚味覚に訴えてくるんですもん、おーい、ご酒を一本つけてくんな、と言いたくなるじゃありませんか。とは申しましても、当時の江戸では、鰹に付けるのは山葵や生姜ではございませんで、辛子だったそうなんですな。そちらの方が魚の臭みが無くなるそうでして、こんどあたくしも試してみましょう。女房に 言うなと下女に 鰹の値、そんな古川柳がありますけれど、旬の物を食すのが江戸っ子の心意気でございます。ところがですな、哀しいお話もございまして、元禄期に、江島という大奥の絶世の美女と、生島という売れっ子歌舞伎役者の世紀の恋、皆様疾うにご存知でしょうが、「江島生島」という事件がありました。大奥は勿論男子禁制、当時の役者は河原乞食と呼ばれたぐらいですから、身分違いの恋愛模様でありまして、哀れ江島は江戸払いの上、信州の山の中へ、生島は三宅島へと島流しと相成ります。愛し愛され、相思相愛のご両人、わしとお前は 焼山葛 裏は切れても 根は切れぬ、幕末の大天才、東行高杉晋作公の都々逸の通りの2人でございましたから、最後に文を交わしたんですな。それが平成の今から300年前でありまして、生島が三宅島に送られたのが、ちょうど今時分の春でございました。生島が贈りましたのは、初鰹 辛子はなくて 涙かな、という句でして、江島の便りには、その辛子 きいて涙の 鰹かな、だったそうでして、まあ、諸説色々あるそうですが、粋も甘いも噛み分けた大人の切ない恋、という趣でして、聞く人の涙を誘ったそうでございます…。 

ええ~、大阪は船場、四方をお掘りに囲まれた街でございまして、所謂大店、大きな商家が立ち並び、浪速のお金が大層集まる処がございました。何せ、天下の台所、と呼ばれたぐらいでして、太閤殿下豊臣秀吉公の肝入りで大阪城が造られた際、この船場にお武家さまに商人に職人が集いまして、呉服屋に料亭に両替商が立ち並び、まあ活気のある街でございます。今尚残りますのが、御堂筋や心斎橋や博労町、これ、当時の名残なんですな。その船場に、室町の頃からと言いますから随分な老舗、呉服を扱う「蜷木屋」という大店がありました。そこの若旦那に、稔、という跡取りがおりまして、仕事はまあ熱心にするのですけれど、今で言うアフター・ファイブの時分になりますともういけません。何処からともなく聞こえて参ります、三味の音と芸者衆の嬌声が耳に入りまして、ふらふら~ふらふら~、と難波の方に足を伸ばしてしまうんですな。

難波と言えば、平成の今もそうですが、銀座や中洲やススキノと並ぶ日本有数の繁華街、元来が遊び好きな稔の事ですから、もういけません。太鼓に撥を持って来い、禿はどうした、酒肴は未だか、花魁を呼べ、まあ酒池肉林の言葉通りでございまして、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ、大はしゃぎの稔でございました。酔眼朦朧、ふと酔いが覚めまして、厠に立ち、席に戻りますと、もう誰も居ないんですな。余りに激しい遊びに恐れをなした芸者衆は皆、席を立って逃げ出した次第でして、憮然とした稔、どっかりと腰を下ろし、酒を飲もうとすると、ただ一人残っていた芸妓が、つつっと近寄りまして、「若旦那はん、おひとつ如何でっか」、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、この様な花街にはまず居ない様な、清楚な中にも色気があり、緑の黒髪に雪の様な白い肌、眉を伏せた風情が何とも言えず奥床しいんですな。「名は何と申す」「へえ、お信と申します…。」、いようご両人、という訳でたちまちの内に恋に落ちてしまいました。

惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里、稔の心が将にそれでございまして、雨の日も風の日も台風の日も、毎日の様に花街に繰り出します。お信の方も、雛には希なと申しますか、男女の仲が偽りだらけの花街において、ただひたすらに稔だけを慕い続けておりました。あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す、というお信でしたが、人の口に戸は立てられないのが浮世の常、船場中の噂になりまして、商いにも支障が出る始末、「蜷木屋」の女将や旦那が鳩首会議の末、誰かが猫に鈴を付けねばなりませんで、古番頭の達に白羽の矢が立ったんですな。

「稔さん、稔さん…。」「なんだい、達さん。」「あのねえ、ちょいと話があるんですがね、お時間頂けませんか…。」「ああいいよ。」「実はね、稔さん、あっしも女が好きで好きでねえ、しくじりをやりまして、それでお江戸から浪速に流れて来ちまったんで、言えた筋合いじゃねえんですが…。」「何でえ、お信の事けえ。」「そうなんだよ、稔さん。確かにありゃあ良い女だ。若旦那が夢中になるのも無理はねえやな。」「お前さん、分かってんじゃねえか。」「まあ聞いておくんなさい。若旦那は蜷木屋という大店を背負って立つお人だ。遊ぶなとは申しません。丁稚達や他の店の手前もある。お信が愛しいのは分かるが、ちょいと控えてはどうですか。旦那や女将も心配してますぜ。」「…。…。…。」「どうです、若旦那。」「よし、分かった。俺も男だ。蜷木屋の名前を出されちゃあ仕方が無えや。よし、善は急げだ、達、俺を蔵に閉じ込めてくんな。」

じっと我慢の稔でございまして、何と百日の間、蔵の中に閉じこもります。事情を知らないお信は、半狂乱になりまして、毎日の様に付け文を寄越すんですな。ところが三ヶ月程しますと、ぱったりと手紙が途絶えまして、「ああ、所詮は花街の恋か、冷たいもんやなあ、他に男が出来たんやろ…。」と皆が噂したものでございました。

百日が過ぎまして、ようよう蔵から這い出しました稔、番頭の達から、溜まりに溜まったお信の手紙を受け取ります。その最後の文には、こう書かれてありました。

この文をご覧に相成り候上には 即刻のお越しこれ無き節には 今生にてお目にかかれまじく候 お信

とあったんですな。お信は、稔に会えない辛さ故か、食事も全く受け付けなくなり、この文を書いた後、貰った三味線を弾きながら、あの世へと旅立ってしまったのでございました…。位牌になってしまったお信、男泣きに泣いた稔、「お信、俺を許してくれ…。」と、線香を上げ、仏壇に手を合わせたんですな。そうしますと、お信の三味が鳴り出しまして、それは二人がこよなく愛した地唄でございました。一同、涙にくれておりますと、急に音が止まりまして、「旦那はん、もう三味は弾けまへん…。線香が立ち切れでございます…。」

人間国宝でもあられる三代目桂米朝師匠十八番の演目、「立ち切れ線香」でございました。何だか湿っぽい噺となりまして恐縮ですけれど、人の情愛とは古今東西を超えて麗しく美しく尊いもの、一期一会、さよならだけが人生でございまして、皆様も周囲の方々を大事にして頂ければ幸いでございます…。それでは、次回は木曜日の高座でお会いしましょう、ごきげんよう、さようなら。
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