KANO

今朝は結構バタバタしていまして、どうも気が急くんですが、今、NHKニュースを見ていましたら、「宮城県内の6つの避難所で3740人に調査したところ、4人に1人が欝傾向にある」由、放送していました。僕ね、この震災が起きた際に、或る自治体に問い合わせた事があるんですよ。「病院の敷地内で空いたスペースや家屋もありますし、もし良ければ被災者の受け入れをしましょうか。」と丁寧に問うたんですが、その返事は、「先方から依頼が無いので出来ません。」とにべもないものでした。まあお役所仕事の馬鹿さ加減には呆れてしまいます。確かに先方の依頼は無いでしょう、そりゃそうですよね、東北の被災者の方々が「大分の病院が受け入れを用意している」、なんてあの震災被害の中、知る術なんてある筈がありませんもん。そこをアナウンスメントするのが、あなた方の仕事じゃないですか!!黒澤明の半世紀前の映画、「生きる」の冒頭のシークエンス、市民が市役所に行き、質問をすると、「ああ、これは〇〇課ですね」「あ、それは●●課でしょう」「う~ん、うちじゃないんですよね、✩✩課に行って下さい」と、延々とたらい回しをさせられる、という描写がありましたが、これはちっとも変わっていない、という事なんでしょうね。

僕ね、未来永劫忘れてはならないと思うのですが、震災の折に、多くの諸外国から貴重な浄財を貰いましたよね。ブータン王国では、日本の事で深く心を痛めた国王自ら喪に服し、僕、そのお気持ちに泣きに泣きましたけれど、日頃日本が軽視している台湾が、最も多額の寄付をしてくれました。1個人で10億単位の寄付をされた方もいらっしゃいましたし、テレビで特番を放送、そこでもかなりの額が集まりました。

かって、日本が台湾を植民地にし、決して許されない事をしたのに、本当にありがたい話ですよね。台湾については拙ブログでもしばしば触れていますけれど、日台間には、非常に強く、麗しい絆があるんですよ。日本陸軍の横暴に立腹、台湾住民の為に戦い、非業に倒れた日本人巡査、彼は今、神様として祀られています。台湾上空を守って戦死したパイロットも同様に神様として今尚崇めたてられていますし、当時世界最大のダムを建設した八田さんは先年でしたか、物凄い大きさの立派な銅像が建立されましたもんねえ。韓国とは大違いでして、日本統治時代に造られた建物があるじゃないですか。歴史的経緯は兎も角として、建物に罪は無い訳で、その建造物をどうするか、という事ですが、韓国は直ぐに壊してしまいますが、台湾ではなるべく残そうとするんですね。日本人は支配者として振舞ったのですが、両国でのこの違い、それはやはり、韓国は陸軍系が、台湾は海軍系が統治したからでしょうね。まあ、一般社会でも同様なんですが、日本人の組織に対する考えや体質って、二分される様に感じます。

陸軍の人達って、田舎臭く泥臭く、返事は良いのですが物事を恣意的に解釈、上司に絶対服従と建前ばかりを語るけれど、裏では二律背反なんですよね。海軍の人達は、アーバンでスタイリッシュ、意見は自由に発言出来て、その代わりに結論が出れば一致団結、という考え方でした。どちらが良いかは一目瞭然、僕、常にネイヴィの積もりで病院を運営しています。

そして、日本統治時代の台湾は、農林水産業にインフラストラクチャー全般を整備し、上下水道もありまして、当時のアジアにおいては、群を抜いた存在であった事は間違いありません。勿論、植民地統治は決して許される事では無く、申し訳無い気持ちでいっぱいですが、台湾において、日本時代を懐かしむ方々や、非常な親日家が沢山居る事も、厳然たる事実なんです。僕の大学院時代の恩師、C教授も、台湾のご出身でして、非常にお世話になりましたし、同じ学徒として、対等なお付き合いをして頂きました。僕の考え方のベースが出来上がり、始めてきちんとアカデミックな教育を受ける事が出来て、ロジカルで視野の広い思考が生まれる基礎となったのは、先生のお陰です。改めて言うのは気恥ずかしいですが、C先生、その節は大変お世話になりました、本当にありがとうございましたm(_)m。

閑話休題、私事を縷々述べて恐縮でした。さて、当時の日台間の麗しい関係の象徴とも言えるのが、戦前の甲子園大会に5度出場、準優勝経験もある、嘉義農林高校なんですね。大正時代の頃まで、台湾には野球というスポーツはありませんでした。それが今では台湾の一番の人気スポーツであり、国技になりましたのは、或る日本人の存在なくしては語れません。近藤兵太郎、その人でありまして、四国は愛媛の生まれの明治男、彼は高校野球の名門中の名門、全国制覇5回準優勝3回の松山商業の初代監督なんですね。青雲の志は至る処にあり、近藤さんは31歳の時、新天地台湾に渡ります。そこで、嘉義農林高校の簿記の先生として教鞭に立つ傍ら、新設された野球部の監督に就任します。野球部結成後僅か3年で甲子園初出場、そこで準優勝の快挙を成し遂げたんですから、選手の力量は勿論ですけれど、近藤さんの手腕が如何に優れていたかが分かりますよね。当時のメンバーは、日本人3人、台湾人2人、先住民族の高砂人4人、でありまして、僕、本当に素晴らしいなあ、と涙したんですが、近藤先生は「野球こそが万人のスポーツだ。我々には洋々たる未来がある。」とのお言葉を残しています。そして当時、まあ今もそうなんですが、やはり差別問題ってあったと思うんですね。ところが、当時の選手達のコメントが残されておりまして、「先生は正しい野球、強い野球を教えてくれました。差別?1つもありませんでした。」「練習には決して妥協せず、とても怖い人でした。しかし、大変に熱心で、怪我した選手にはとことん気を配って優しかった。いつも身体中から熱気が溢れていました。」だそうです。僕、強きを挫き弱気を助け、与えられた仕事には誠実に取り組むという、日本男児の心意気、侍の末裔を見る思いがします。「日本人・台湾人・先住民族、これが混ざりあっている学校、チーム、これこそが台湾の最も素晴らしい姿だ。もし負けたとしたら、それは僕の努力が足りないからだ。」、うん、高く理想を掲げ、泣き言は決して言わない、これこそが男が惚れる男でしょう、僕もそうあらねば!!

近藤先生は、敗戦と共に日本に引き上げ、15年間の台湾での指導生活を終えましたが、生徒達との絆は未だに続いているんですね。先生の墓参の為、毎年の様に、台湾から生徒達が松山にまで訪れるんです。生徒や選手とは言え、もう随分お年でしょうに、僕、松葉杖や車椅子姿ながらも、近藤先生のお墓に弔花をするかっての若者達の姿をテレビで見た事がありますが、涙が止まりませんでしたもん。実はですね、この近藤先生と嘉義農林の選手達のお話が、昨年から台湾の監督さんで撮影が開始され、もうすぐクランク・アップ、日本公開も決まっているんですね。題名は「KANO」、是非皆さんも観に行かれて下さい、号泣必死と思いますよ!

さて、週末はだんだんと暖かくなりそうです。皆様、楽しいウィーク・エンドをお過ごし下さいませm(_)m。
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