学問のすゝめ

今日で7月も終わりですか…。時の経過は本当に速いもの、月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也、今年も私事を含めて色々とありましたが、もう半分が過ぎました。こんなに速いと、自分がこの世から居なくなるのもすぐ来る感がありますけれど、男ならたとえ溝の中でも前のめりに死なねばなりません。日々精進を重ねて、これからも全力で頑張る所存です!

さて僕、職員の方々の研修で講師を務める機会も多く、「幹部職員としての心得」「TPPが導入された場合医療はどうなるのか」「戦略と戦術の違い」「組織論」「大分県の病院事情」等々、毎回テーマを変えてお話をさせて頂いています。次回は「敬語」についてお話しようと思っているのですが、継続は力なりでありまして、僕がこの病院に来る前と後では、随分社風が変化して来た様に思います。自画自賛になると恐縮ですが、かっての閉塞的かつ暗い雰囲気は消え、開放的で明るい病院になって来ました。組織とはリーダーの器以上には大きくならぬもの、僕自身も益々研鑚を積む必要がありますけれど、職場で笑い声が絶えなくなって来たのは、大変良い傾向と思い、独り喜んでいます。

教育の重要性を日々痛感していますけれど、僕、混迷し衰弱しつつあるこの日本を救うには、やはり若者が勉学に励むしか無いと思うんですよ。所謂メディア・リテラシーや原発の是非、今後の日本がどうあるべきなのか、それを選択し実行するには、やはり知識と知恵が必要です。その為には学べねばなりません。僕、最近気付いた事がありまして、歴史の妙と言いますか、余り縁が無い様に思えても、人々の営みは営々と続くんですよね。

慶應と早稲田、僕が書くまでも無い、日本を代表する私学の雄ですけれど、この両大学、創始者のお2人は、大分と佐賀の出身でありまして、結構な田舎ですよね。ともすれば、大阪や東京出身の方が大学を興すのは有利に思えます。でも、ここからは僕の仮説になりますけれど、両者がこの地から出たのは必然と言えると思うんです。では、早速自説を開陳する事と致しましょうか。

まず慶應の創始者、お札で有名な福沢諭吉先生は大分の中津のご出身でありまして、この街、何度か行った事がありますけれど、まあ何も無い田舎なんですよ。では何故福沢先生の様な大人物が生まれたか、と言いますと、その鍵は当時の中津藩の殿様にある、僕、そう断言致します。この中津藩、余り目立ちませんが、福沢先生以外にも、銀行家や議員に教育者、幾多の事業家を沢山生んでいるんですね。さて、この中津藩は、奥平という一族が殿様として君臨していました。歴代の殿様は短命でして、歴史に大きな足跡を残したとは言い難いのですが、9代目だけが長命でして、この奥平昌高公が非常にユニークなんですね。おっとその前に、この中津藩、九州の片田舎にありながら、何故か教育には非常に力を入れていたのと、欧米の学問に興味を持つ殿様ばかりだったんです。さて、話を昌高公に戻しますと、この殿様、何とオランダ名まで持っていたんですね。これからの日本は鎖国していては駄目だ、その為にはあちらの言葉を学ばねばならぬ、という訳でオランダ語の猛勉強を致しまして、長崎は出島の外国人達と交流を持ち、言葉はペラペラ、オランダ語で詞を造り、手紙のやりとりまでしていたんですから、大したものです。昌高公のオランダ名は、フレデリック・ヘンドリック、何だか伝説のロック・ギタリストの様ですが、シーボルトと親友って言うんですから、ぶっ飛んだ大名だったんですね~。日本初の医学の翻訳書である「解体新書」を訳した医師、前野良沢は中津藩の出身である事から分かる様に、当時の最先端の学問に興味を持つ殿様だったのは間違いありません。恐らく、福沢先生も己の学問のバックボーンとなった、この中津藩の特異性を理解していたのでしょう。中津藩の最後の殿様である、昌邁公--このお方も大変優れた方で、明治元年の段階で世襲を廃止、選挙を取り入れているんですから、こりゃあ中津藩の革新的なDNAの賜物ですよね。--を東京に呼び、慶應義塾で学んで貰い、アメリカ留学の世話をしているのですから。

さて、早稲田大学の創始者は大隈重信公、教育者というより、政治家の貌の方が有名でしょうが、彼は佐賀の出身です。佐賀の肥前藩には、鍋島直正公という、これまた大変革新的な殿様がおりました。当時の藩は何処も経済事情が逼迫しておりましたが、直正公のやった事は、先ず役人を5分の1に削減でありまして、この事実は安部チャンにも是非知って欲しい所です。紆余曲折がありながら、経済を立て直した後に、藩校と呼ばれる学校を造り人材育成に予算をつぎ込んだんですね。その学校から、大隈公や江藤新平、副島種臣と言った明治維新を支えた英傑が多く現れたのです。直正公の凄みは、その先見性でありまして、江戸時代に、「我が国の泣き所は資源である。オーストラリアと協定を結び、鉱山を開発してはどうか。」「我が国は狭すぎる。中国の満州地域は、どの国のものか現在は帰属がはっきりしていない。他国に先駆け、今のうちにその地を開拓してはどうか。」、これを200年近く前に提言していたんですから、もう預言者の域でして、X-MENですよね!?また、当時天然痘は不治の病であり、治癒は極めて困難だったのですが、オランダからワクチンを直輸入し、根絶させちゃうんですから、直正公は日本人全ての恩人でもあります。そして、江戸時代末期には、最新式の鉄砲や大砲まで全て自藩で製造、蒸気船まで自前で造れたと言うんですね。

佐賀や中津の片田舎でさえ、これだけの大仕事が出来た訳で、我が国はそれでなくとも資源に恵まれません。でも、頭の良さは世界に冠たるものがあるんですから、官僚どもが無駄使いを止め、教育に予算をもっともっと割けば、日本の再生、復興は必ずや成し遂げられる、僕、そう思っています!

今日はこれから電車に乗り、出張でありまして、土曜日には拙ブログを更新予定です。それでは皆様、行って参ります!!
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