IMPERIAL JAPANESE NAVY

お陰様で、昨日の大きな会議も無事に終了、関係者の方々から、思いも寄らぬ盛大な拍手を頂きまして、何だか面映ゆい思いが致しました。当院の、前期における日々の努力が、役員の皆様方に認められたという事でありましょう。これに奢る事無く、今後とも精進を続けて参りますので、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します。僕、今日も夕刻から、またまた大事な会合がありまして、ここ最近は時間との戦いの感もありますが、飛ばして行きますよ!

しかし驚いたんですが、AKBの総選挙、フジテレビは何と4時間40分の生中継をする由、呆れ果てましたよ。あ、AKBの皆さんやファンの方々には何も含む所がありませんので、どうか誤解無き様にお願い致します。僕が憤りを感じているのは、フジテレビに対してです。この選挙をスポンサードする企業が居て、ペイすれば、それはそれで経営的にはOKなんでしょうが、何もこんなに長時間、電力の無駄遣いをする事は無いでしょう。これからどんどん暑くなり、益々電力が必要になるでしょうに、テレビ局は確か去年は節電節電と大騒ぎしてませんでしたっけ!?こういう輩を、巧言令色鮮し仁、と呼びますし、その反語として剛毅木訥仁に近し、と申します。まあ、軽佻浮薄と申しますか、今なお仮設住宅に住んでおられる、東北の被災者の方々の気持ちを考えろ、と言いたくなります。仕掛け人の秋○某ですか、確かに才気に満ち溢れた金儲けの達人なんでしょうが、僕、一緒に同席するのはとても無理ですね~。

僕、この年齢にしては、数多くの人達を見て来た方と思いますし、それなりに修羅場といいますか、切所を凌いで来た積もりです。いざと言う時に頼りになる人物、それこそが真の日本男児と思うんですが、日頃大言壮語せず、黙々と己のやるべき事をやっている、そういう方が最も力になってくれた様に思います。まあ、優しい言葉や上手い事ばかり言う人は、大抵駄目ですね~。

僕、この日本国の大切所を救った大人物、今では余り知られていませんが、その方を今日はご紹介したいと思います。第37代内閣総理大臣であり、大日本帝国海軍大将、米内光政さんです。米内大将は、仙台は盛岡藩士の息子として明治の御代に生を受けます。当時の士族、お侍さん達は、先祖代々の俸禄--今ならば給与ですね--を取り上げられましたから、貧困に喘ぐ事が多かったんですね。米内少年は新聞配達等々、アルバイトに精を出し、家計を助けながら、海軍兵学校に入学します。成績は左程目立つものでは無かったそうで、士官になってからも、割と閑職が多かったんですね。勿論、閑とはいえども軍艦乗りですから、航海に従事し精励する傍ら、寸暇を惜しんで、万巻の書を読み耽ったと言います。ドイツやロシアや中国に駐在経験がありますから、夫々の国の諸事情に精通し、その関連の多くの本を原著で読む事は勿論でした。それに加え、英文学や歴史、教育に漢詩、政治経済に哲学に法律、福祉や地理に関するものまでも読破したそうなんです。柔道三段の猛者であり、身長は180㌢の長身、ドイツ・ロシア・中国・英語を話せ、まるでハーフの様な二枚目で美声の持ち主、大変優しく気取らない性格だったそうですから、海軍の根拠地のある横須賀・呉・佐世保・舞鶴の芸者衆からは、絶大な人気を誇ったそうです。総理を辞めてからも、平気でチンチン電車に乗っていたぐらいの、飾り気の無い人柄だったんですね~。

閑話休題、成績や経歴はパッとせず、極端な無口でしたから、余り目立たなかったそうですが、どの世界にも具眼の士はいるものでして、順調に昇進を続け、海軍大臣を経て、総理の座まで上り詰めるんですね。米内総理の時代、昭和15年は、大変な激動期でありまして、日本陸軍の鼻息が大層荒く、世界中を相手取り、今にも戦争を始めようか、という時でした。後に戦死する山本五十六大将、海軍きっての知性と呼ばれた井上成美大将と共に、戦争に大反対するのです。ところが無理が通れば道理が引っ込み、陸軍及び、戦争を推進しようとするマスコミの横暴により、米内内閣は総辞職に追い込まれます。

そして、無茶な戦争に突入、日本人だけで300万人の尊い犠牲者を出した悲惨な結末を迎えるんですが、日本陸軍の馬鹿さ加減は途方も無いものでして、広島・長崎に原爆が落ちても、未だ戦を続けようとしていたんですね。何処の組織にもいますよね~。観念的で現場を知らず、夜郎自大で田舎っぺえ、感情的で官僚的、これが日本陸軍でした。こいつらが当時の日本国を動かしていたんですから、そりゃあ堪りません。引退していた米内さんしか、終戦まで持って行く事は出来ない、という訳で、副総理兼海軍大臣として就任致します。

陸軍や右翼、マスコミまでも巻き込んだ、戦争継続派との暗闘は1年半も続くのですが、米内さんは、冷静に理詰めに、時には激昂した事もあった様ですが、何とか終戦を迎える事に相成ります。戦後、戦勝国であるアメリカが東京裁判を開廷、米内さんは参考人として法廷に呼ばれます。日本の今後の国益、僕達国民の今後の生活、そして天皇陛下の行く末に対し苦吟していた米内さんは、熟慮の末、陸軍を庇う証言を繰り返し、肝心な処の尋問に対しては、知らぬ存ぜぬを貫き通します。ウィリアム・ウェブ裁判長からは「ユー・アー・ザ・モースト・スチューピッド・プライム・ミニスター・アイ・ハブ・エバー・シーン」、即ち、こんな馬鹿な総理大臣を私は見た事が無い、とまで罵られ、その発言が公式記録として残されながらも、国民の為に愚者を演じ続けたのです。その気苦労からか、敗戦処理の責任を一身に負っていた辛さ故か、高血圧に脳溢血に肺炎に腎臓病に帯状疱疹と、重い病を併発、戦後僅か3年を経た昭和23年に逝去されます。

これぐらいの責任感と気概が無くては、総理なんて引き受けられないんです。果たして現総理にそこまでのレスポンシビリティがあるのか、甚だ疑問ではありますが…。僕も偉大な先達を目指して、日々精進ですね。とりあえずは、今日の会合を頑張りまして、土日はひたすら眠る予定です!皆様も楽しい週末をお過ごし下さいませ!では又来週お会いしましょう!
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