VINO ROSSO~QUATTRO FORMAGGI

おはようございます。朝方は涼しさを感じる様になりまして、毎朝の犬の散歩も随分楽になりました(^^)。さて、昨夜は都町に出まして、ワインとウィスキーと立ち上る紫煙に包まれた飲み会、とても楽しく笑いに包まれた素敵な一夜でした。僕、ワインの善し悪しはさっぱり分かりませんし、精々、大分の安心院に広島の三次と岡山の船穂、カリフォルニアのナパバレーやソノマにサンタバーバラ、オーストラリアのジーロン、アデレードにクーナワラにヤラ・バレーといったワイナリーを廻って試飲した事がある程度、何処に行っても最後は飲み過ぎてしまい、味どころではなくなるのが常でしたが、それでもこれはスパイシーで美味しい赤なんだな、ぐらいは流石に分かります。どうもまろやかなブルゴーニュが一般的には好まれる様ですが、僕、ボルドーのメドックやチリワインの重い赤と子羊のローストにクレソンでも添えて、食後は世界一の葉巻、勿論ヒュミドールできちんと湿度管理してあるキューバ産のコイーバなんてたまりませんね~(^^)。おっと、ワインに詳しくない僕がこれ以上書いても通人からは鼻であしらわれるだけ、ここら辺で止めておきましょう。

さて、心地よく酔いながらぼんやり考えていたら、人間の脳って面白いもので、点在していた様々な知識が線として繋がってきたんです。酔いどれの脳が生んだ妄言かもしれませんが、暫しお付き合いの程を。

数週間前に床屋に行きまして、散髪してスッキリ、その後以前読んだ事のある「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」若桑みどり著 集英社文庫、を再読したんです。上下巻のこの書、とんでもない力作であり大傑作でして、戦国時代の日本と欧州の異文化の融合が世界史にどう影響を及ぼしたのか、その象徴としてのクアトロ・ラガッツィ、即ち4人の少年使節(大分を主に北九州一円を支配していた大名、大友宗麟の縁者もその一員です。)がローマ法王に会い、日本に帰国、結局は異教徒として追放される、という内容でして、著者はヨーロッパ美術の専門家の女性で千葉大学名誉教授、繊細ながら視野が広く、登場人物の衣装の色や当時のトレンドにまでこだわった文章力、流石に長期のイタリア取材をしただけの名著と言えましょう。織田信長がヨーロッパに発注し、数年がかりでインド洋を超えてはるばる到着したスペイン製の皮張りの椅子の挿話や、信長がローマ法王に贈るべく、狩野永徳に書かせた「安土城之図」の行方の描写は本書の白眉、圧巻です。そしてこの書には、僕達大分県民には所縁のある、ポルトガル人宣教師、ルイス・デ・アルメイダの記述が出て来ます。興味を覚えた方はこの書をお手にとって頂くとして、皆様周知の通り、このアルメイダさんが、前述した大友宗麟公から土地を貰い受け、1557年に、外科・内科・ハンセン氏病科を備えた、日本初の病院を誕生させた訳です。ここ大分の地は、日本で初めて西洋医学が導入された、僕達医療人にとっては或る意味神聖な場所と言えるでしょう。冒頭に触れた床屋さんも、実は医療に深い関係があるんですよね。床屋さんの象徴、店頭でクルクル回る奴、サインボールと言うそうですが、あの三色の意味は赤が動脈、青が静脈、白が包帯でして、中世のヨーロッパでは理容師が外科医も兼ねていましたから、その名残があのクルクルなんですよね。

そして、昨日立ち寄った都町に無数にある居酒屋、これも中世のヨーロッパでは様々な役割を持っていまして、宿屋でもあり、驚くべ事に、銀行でもあり郵便局でもあり裁判所でもあった訳です。恐らく、まだ未発達で未分化な社会だったからこそ、人々が集まる場所が多機能性を持たざるを得なかった、これは僕の勝手な解釈ですが、そう間違っていないと思います。非常に興味深いのは、居酒屋は病院としても使われていた事実です。面白い事に、当時の医師は芸人と同じ扱いでして、放浪外科医や流しの歯医者さんが居酒屋内のテーブルを使って医療行為を行っていた由、それをパフォーマンスとして行い、他のお客さんが快哉を叫ぶ、という現代ではとても信じられない光景ですよね。当時の日記や文献、絵画にその模様が残されているんです。

何だか今日の本ブログは、お客さんに適当な言葉を三つ言って頂いて、その言葉を織り込んで即興で演じるという、落語で言う三題噺の趣でした。西洋医学、床屋、居酒屋、という訳でして、皆様の知的好奇心を少しでもくすぐる事が出来れば何よりです。お楽しみ頂けましたでしょうか?

テン、テテン、テン、テテテン、テン…♪


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